大学の先生の話
わたしが大学を卒業したのは信じられないがもう何十年も前の話である。
その研究室では学会でも非常に有名な先生がおられた。
卒業の追いコンで、先生は次のようなことを言われた。
「社会に出て辛いこともあると思うが、いつかは自分の番が回ってくると思って頑張りなさい」。
あれから、未だに自分の番は回ってこないが、この言葉を励みに頑張りたいと思う今日この頃である。
異動になった
ブラックな職場から異動した。
人生ばんざーい!と言いたいところだが、そんなことはない。
なぜかというとうちの会社で、部門異動が起こるというのは訳ありだからだ。
こうなるとわたしは、訳ありの人間というレッテルを貼られていることになる。
と、自分で自分をラベリングしている気がして、非常に辛かった。
しがも仕事内容が簡単なのもまたわたしを打ちのめした。
実は同じ会社(小売)でもう23年くらい勤めているのだ。
給料はありえないくらい安いけど。
それでこの仕事内容かと言ってやりたい。
やっぱりうちの会社はブラックだ……。
そんなわけで職場では明るくしているけど、家に帰ったら内心落ち込んでいます。
ブラックな職場
先程、Yahoo!ニュースで「ブラックな人間関係の職場」を見ましたが……。
去年のわたしが経験した職場の人間関係は、そんなもんじゃなかったわ(笑)
辞めてもおかしくない状況だったんだなぁ、と思いました。
頑張った自分をゆっくり褒めてあげたいわ……。
まあでも、辞めたら食い扶持が稼げないという現状もあったので、頑張れたんです。
あと、相談できる人を作ることは大切です!
できれば上司でなく同僚がベターかな。
部下でもいいと思います。
それから、普段から信頼できる仕事をしておくのが大切です。
それにしても解決?するまで1年くらいかかったし、解決したのも偶然の要素もあったので、やはりブラックな人間関係の解決は難しいです。
コンディションが悪い
昨日の夜からずっとコンディションが悪かった。
実は去年一年、何もかも棒に振るくらい職場の他人に振り回されていた。というか、わたしがやたらと他人に関わってしまう人間なので、仕方がない。
そのうちの一人が異動になったのだが、ちょっと変わった関係だったのでわたしには思いが残った。それが昨日、その人とメールで関わることになり、コンディションを悪くしてしまったのだ。
今日は休みというのに一日ペースを崩して、夕方にはものすごく落ち込んでしまった。今はなんとか落ち着いているが、また明日どうなるかわからない。
ほんと、人の心って爆弾みたいなものだなぁ。
天文館むじゃきのしろくま
近所のスーパーのチラシを見ると、天文館むじゃきのしろくまを取り扱っているという。
もう十年以上前、友人と鹿児島に旅行に行ったことがあった。
かかっているシロップの味が絶妙。甘すぎないが甘い。いくらでも食べられる。
あまりの美味しさに感動し、一泊二日の旅で2二度も食べてしまったくらいだ。
さらに帰ってからもお取り寄せした。
そのしろくまが近所のスーパーで売っているのだ。これは行くしかない!
ということで、行って、買ってきて食べた。
むじゃきの味はあの頃と同じく美味しかった。
変わったのはわたしがあれだけの量を食べられなくなってしまったくらいだ。
あれだけの量を食べられたのは、やはり若かったからなんだなぁ……。
シン・エヴァンゲリオン
見てきた。
ネタバレの感想を以下に投下します。
2時間30分、非常に面白かった。
わたしはエヴァにそれほどハマってはいなかったが、それでも今回初めてもう一度見てもいいと思った。
見終わった瞬間、『富野監督も庵野監督も白くなったというのに、わたしときたら……』と思った。
結婚であんなに幸せになれるんなら、相手を探そうかとも思ったよ(笑)。
白富野の代表作ターンAガンダムの最終回は、叶わない恋あり、心の中のすれ違いあり、だけどそれでも思いやりながら寄り添って生きていくというもので、見た当時、ものすごく感動し、こう生きていきたいと思ったのだ。
今回はアスカの落とし方に泣いた。
彼女は旧エヴァのキャラの個人的葛藤を割と最後まで引きずっていたのではなかろうか。
見てるこっちが共感しやすいと言うか。
相手はともかく、幸せになってよかった。
現実に鬱になっても、こんな風に回復するとは限らない。それは、自分がよく知っている。
鬱でもなんでも、パワハラ、モラハラは止まらない。止めてくれない。鬱であることを妬む人間だっている。腫れ物を扱うような存在なのは、いつだってそうだ。
それでも、回復した人がいるのだ。
そんな人の話はなかなか聞けない。
だから、富野監督も庵野監督も、白い自分の話を語ることには意味があるのだ。
実際に病んでいる人に対して、希望になるかもしれないから。
心を病むときは、いつだって人間関係が原因だ。富野監督も庵野監督も、インタビューを読む限り大変な完全主義者なのに、いい人であろうとするのだろう。
わたしの会った、「病的なのに病気でない人」は、自分の整合性のない部分をそのままにしていた。彼らは被害者意識と加害者の立場を使い分ける。多分お二人ともそうではなく、責任を背負い込んだのだ。
しかし、そういうおふたりだからこそ、助けてくれるスタッフにも恵まれたのだろう。
そして鬱から回復した。
そのように作られた彼らのコンテンツは癒しとして見るものに心地よい影響をもたらすのではないだろうか。
ただ、現実にはそんな世界が簡単にあるとは思えない。
この資本主義社会はスポンサーが付くか否かだ。おふたりにはスポンサーが付き、それに見合うだけのコンテンツを仕上げられる力があった。一般の我々が鬱になったところで、違う。まず会社は待ってもらえるだろうか、そこからのスタートだ。徹底的に弱者だ。
それでも、あきらめないことが大切だと思いたい。鬱になった時に徹底的に自分を責めたように、今度は徹底的に自分をあきらめない。
そういえは、シン・エヴァンゲリオンはそんな話だったような気がする。