シン・エヴァンゲリオン
見てきた。
ネタバレの感想を以下に投下します。
2時間30分、非常に面白かった。
わたしはエヴァにそれほどハマってはいなかったが、それでも今回初めてもう一度見てもいいと思った。
見終わった瞬間、『富野監督も庵野監督も白くなったというのに、わたしときたら……』と思った。
結婚であんなに幸せになれるんなら、相手を探そうかとも思ったよ(笑)。
白富野の代表作ターンAガンダムの最終回は、叶わない恋あり、心の中のすれ違いあり、だけどそれでも思いやりながら寄り添って生きていくというもので、見た当時、ものすごく感動し、こう生きていきたいと思ったのだ。
今回はアスカの落とし方に泣いた。
彼女は旧エヴァのキャラの個人的葛藤を割と最後まで引きずっていたのではなかろうか。
見てるこっちが共感しやすいと言うか。
相手はともかく、幸せになってよかった。
現実に鬱になっても、こんな風に回復するとは限らない。それは、自分がよく知っている。
鬱でもなんでも、パワハラ、モラハラは止まらない。止めてくれない。鬱であることを妬む人間だっている。腫れ物を扱うような存在なのは、いつだってそうだ。
それでも、回復した人がいるのだ。
そんな人の話はなかなか聞けない。
だから、富野監督も庵野監督も、白い自分の話を語ることには意味があるのだ。
実際に病んでいる人に対して、希望になるかもしれないから。
心を病むときは、いつだって人間関係が原因だ。富野監督も庵野監督も、インタビューを読む限り大変な完全主義者なのに、いい人であろうとするのだろう。
わたしの会った、「病的なのに病気でない人」は、自分の整合性のない部分をそのままにしていた。彼らは被害者意識と加害者の立場を使い分ける。多分お二人ともそうではなく、責任を背負い込んだのだ。
しかし、そういうおふたりだからこそ、助けてくれるスタッフにも恵まれたのだろう。
そして鬱から回復した。
そのように作られた彼らのコンテンツは癒しとして見るものに心地よい影響をもたらすのではないだろうか。
ただ、現実にはそんな世界が簡単にあるとは思えない。
この資本主義社会はスポンサーが付くか否かだ。おふたりにはスポンサーが付き、それに見合うだけのコンテンツを仕上げられる力があった。一般の我々が鬱になったところで、違う。まず会社は待ってもらえるだろうか、そこからのスタートだ。徹底的に弱者だ。
それでも、あきらめないことが大切だと思いたい。鬱になった時に徹底的に自分を責めたように、今度は徹底的に自分をあきらめない。
そういえは、シン・エヴァンゲリオンはそんな話だったような気がする。